舎利とostia

寿司を食べながら、ここのシャリは塩味がちょうどいいとか、やっぱりヨコイの酢じゃなきゃ、とかいっているあなた、シャリの語源をご存知でしょうか?

シャリは元々漢字では舎利と書き、舎利殿という言葉からも想起できるように、元々仏教用語でブッダの骨を表す言葉です。元々インドの寺では本当のブッダの骨が分けられていたようですが、仏教徒でない私は現代日本で舎利殿の中に 本当のブッダの骨があるかどうかは懐疑的です。
ただ舎利とは、ありがたいものを表す言葉なので、仏教が日本の宗教として取り入れられる際に、元々神道で神様が宿るとされていた米粒をシャリと表すようになったと考えます。(本地垂迹説の1例でしょうか?)
日本が米の国なら、イタリアはパンの国です。ostiaとは日本語では「聖体」で、キリスト教徒以外の人にとってはただの丸いパンです(それどころか酵母を使っていないのでパンと呼んでいいかも怪しいものです)
しかしキリスト教徒にとっては、キリストの一部と考えられ、これを食べることで自分の体にキリストが宿るとされています。とても貴重なものであり 基本的に司教(vescovo)のみが授けることができます。私はキリスト教徒ではないので、正直もらっても微妙です。(やはりキリスト教徒にはなれない)

こちらとあわせてんでいただくと理解が深まります

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